写真は、夏の納涼祭から。
当日の様子は、備忘録としてアップさせていただきます。
テキストのみ、ご紹介。
新嘗祭 (収穫祭)
南信州、伊那谷での農作が三年目に入る。土造りは秋のうちの仕事。 そうして智慧を巡らせて寝床を拵えても、上手くいくとは限らない。 「新嘗祭」は旧暦の行事。太陽暦の導入に従って、 今さら「神国日本」を意識する必要はないと思うが、
農業年度は、今年一年かけて観察した「畑の土壌」の、各所の性質に合わせて、
それぞれを改善するところから始まる。
暖かくなってから耕運機等々で土を掘り起こし、肥料を入れて、
というようなことではない。日当たり、水ハケの良し悪し、ph、など
同じ畑内でも性質が違う。作物の欲しがる環境も違う。
なので、これらを今から調整する。
お天道さまのご機嫌で、良くもなれば悪くもなる。
食物を得るということは、お天道さまの掌の上で、大海の木の葉よろしく、
もまれ、流され、為されるがまま。
無事に収穫までたどり着いて作物を手にしたときの喜びといったら、
それはもう、本当に測りがたいものなのである。
宮中祭祀の一つに「新嘗祭」がある。
11月23日、宮中の神嘉殿に於いて行われる大祭で、収穫祭にあたる。
式典では、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に奉り、
そののちに、これを戴く。
その年の五穀の収穫を感謝する風習は古くからあった。
その始めは、飛鳥時代の皇極天皇だといわれている。
現代ではその観念が薄れつつあるが、穀物を得るということは、
元来、神懸り的なことなのである。
11月23日に固定された。
「勤労労感謝の日」として改称されたのは、第二次世界大戦後。
GHQの占領政策に基づく。収穫祭を天皇行事、国事行為から切り離す目的で
改称されたといわれている。
日本は戦勝国によって、収穫を神に感謝することさえ禁じられた、
と言えないこともない。
「新嘗祭」は、現代に於いては宮中祭祀でしかない。
しかし戦前は、新嘗祭が済むまでは「新米を口にしない」
という習慣もあったと聞く。
飛鳥時代から続いている収穫祭の意味を理解し、体感し、
次の世代に伝える義務が先を歩いている私たちには、あるのではないだろうか。
文 三浦俊幸