独り言

豚肉を塊で焼く

白状するが、焼き豚が嫌いである。

だいたいがスカスカのバサバサで、一度も美味しいと思ったことがない。

豚の脂の加減でもって、辛うじて喰えるというモノに出会うことはあるが

それにしたって、あれは肉の残骸だと思う。

安くて臭いのある豚肉を「調味料で煮〆て喰う」というなら話は別だが

そこそこ質の良い肉を、なんでわざわざあんな無残な姿にするのだろうか。

肉だけでなく、魚も野菜も、何でもかんでも火の通しすぎ、という気がしないでもない。

良い素材を、強火で上手に焼いた旨さは格別だけれど

その強火を使いこなすのは、なかなか難しいことである。

そもそも、カラッとした強火そのものを目の前に調理する機会がないだろう。

また、あったとしても、火を御すということは大変なことである。

そうでない、室内で賄える程度の火力でもって焼くとなったら

中途半端にぐずぐずと火を入れて

肉汁を逃がしてバサバサになった残骸を作るのがオチである。


食物の旨さは、命が残っているところにあると思う。

口の中で、細胞のほつれる具合が感じとれるくらいが良いのだと思う。

命を噛みしめて、ぞくぞくとして、心と体を満たして自分の性を活かす。

調味料を啜りたいのではない。

そこにある命を屠りたいのだ。

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断面は生肉のように見えるけれど、肉汁も血も出ていない。

触れば中心までしっかり温かい。


生で喰らうのは獣に任せておけばよい。

人間の智慧でもって、生でなく、生より旨くて生に近い肉を喰らう。

また、それが可能な素材を手に入れる。

それが活きるために喰らう、ということだと思う。


もっとも、こういうことは「嗜好」というくらいだから好みによるのだろう。

苦手な人には、たいへん申し訳ない話である。


そして、サラミのあとに続くネタで申し訳ない。

肴と糧は違う、と思って頂ければ幸いです。


カミングアウト


食べるということは、命を繋ぐための行為である。

しかし、食べることによって命を縮める人が多いという昨今。

それを寿命と言ってしまえばそこまでだが

我々はこの食生活の乱れを「社会現象」として

しっかり捉える必要があるのではないだろうか。


割主烹従。

料理は材料を切って食すことが主。

煮炊きするのはその次の策。

「素材が命」ということを表す言葉である。


人は

生々しい食材(生であることが望ましい)を口に入れた時

どんなことを感じるのだろうか。

その瑞々しい細胞を噛み砕いて、繊維をしごいて

舌の上で、口内の全ての粘膜で、その個体を味わう時

いったい何を思うのだろうか。


命のあったものが細胞の壁を失って、粘液の様に、どろどろになる。

その、ねっとりとして活きの良い感触は、まるで人間の内側のようだ。

調味料ではなく、素材そのものの感触を得たとき

自分は食物と交わっているのだと知る。


だから愛しい人の耳たぶを食むように

その艶めかしい肌に手を這わすように

五感の全てでもって感じたいと欲する。

心ゆくまで味わいつくし、その余韻に浸りたいと願う。


生きるということは、他の命を屠ることなのだ。

自身の命の糧とするために

他の命を、噛んで、砕いて、すり潰して、我がものとする行為だ。

こんなことを、愛なくして、どうして行えよう。


獣ならば許されるだろう。

他の命を奪って、屠って、我がものにして生きることを。

しかし、我々は人間だから、欲のみにあらず。


調理を尽くす、という手向け。

味わう、という礼儀。

感謝する、という心。

常々忘れずにいたい、と願う。


食べるということ。

それは、今日の命を明日へ繋ぐということである。

人の想いを明日に繋ぐということである。


さばちょび


今日は久しぶりの東京、山の手。

お上りさんも良いところ。

日本橋って日比谷線だったよな、とか思いながら

広尾から地下鉄に乗って、日本橋駅がないことに気がついた。

東京を離れて、たったの9ヶ月なのに、もうすっかり忘れている。

銀座で銀座線に乗り換えて、日本橋でなく、三越前で降りる。

そうだよ、さすが本店の三越。

専用の駅があるんだった。

で、なぜ本店三越に行ったかというと、目当てはこれ。

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三重の物産展とでもいいますか、本店の三越によるフードコレクション

「三重特集」にて販売されていた「丸勢物産」のサバチョビと、サバチョビチーズ。

鯖好きには、めっぽう堪らないはずの、鯖の旨味凝縮、発酵、オイル漬け。

当家は飲食店だから、基本姿勢は自家製なんだけれど

こういう地域の風味を醸す食材に関しては、最初から素直に従うしかない。


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まだ収穫に至ってはいないが、自家の畑の「大阪二年午大根」が採れたら

そいつをズバッと切って、その瑞々しい切り口に

このサバチョビや、塩辛を乗せて食べてみたい。

あぁもう、さぞかし旨かろうて。。。


このサバチョビをクリーム・チーズに混ぜたという「サバチョビ・チーズ」は

自分が出店にたどり着いた時には、なんと最後の一個を残すのみで。

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20日から開催されていたという、この三重特集は、本日が最終日。

まさに、最後の一つを入手して、ごめんなさい、ごめんなさいね、とつぶやきながら

内心はホクホクの、帰り道でありました。


サバチョビチーズは、サバチョビがあれば、自分でも作ることができると思います。

かつて「バー・ラジオ」で修業していたころのオードブル(付だし)は

混ぜ物をしたクリーム・チーズと果物、というのが定番でした。

(ああ、懐かしい)

クリーム・チーズにアンチョビを混ぜるということも、時々していました。

その時は、刻んだパセリを入れてましたけどね。


蒸かしたじゃが芋に乗せて食べてもうまいだろうなぁ。

何れにしても、食べるのが楽しみです。


後日談?

聞きたいですか?

きっと、悔しい思いをしますよ(笑)

本店の三越にて

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先日、とても美しい和菓子の写真を見たせいか
無性に「こし餡」を食べたい気分になっていたのです。

日本橋三越の本店で行われている三重県の食材展に出かけて
「さわだ一休庵」の前で、まんまと釣られて来ました。

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野点用に器を組んで、花見がてら野遊びと洒落こみたかったのですが
いま東京にいるのは年度末の帳簿の整理の為でして
とてもそんな余裕はありません。
スタッフSOの淹れてくれた焙じ茶を、マグカップで頂きながら
手でひょいと摘まんで一口でパクり。

ほっとする優しい味で、とても満足しました。
でもこれは、やっぱりお薄が必用だったな。



繋っている

写真いろいろ



いのちをたべて

生命をつなぐ

きのうをたべて

今日をつむぐ

明日を迎えるために

たべている



人がいて

素材があって

人がいて

料理があって

おいしい

うれしい

人のいるところ


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【六ばんめの味】

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